当神社の算額の一つで、NHKの番組でも紹介された天保十五年(西暦1844年)の算額の願主は柳川安左衛門です。
その師匠である、石垣宇左衛門につきまして、川島町にお住いで古文書に詳しい稲垣勝義様に、以前に行田市からいただいた関係の古文書を解読頂きました。
その結果、この古文書は経歴書きのような文書で、石垣宇左衛門は武州忍藩(現在の埼玉県行田市付近)の勘定方(会計役)を務め、当時の数学、和算に明るかったようです。その中に“勢州陣屋”(四日市市大矢知)に駐在とあり、この頃に柳川安左衛門が門人として弟子入りし、和算を学んだと思われます。
この時代の忍藩の藩主は松平 忠堯(まつだいら ただたか)で伊勢桑名藩から忍藩へ転封になりました。その時に元桑名藩の領地であった大矢知が忍藩の飛び地として組み込まれたようです。